あのとき学んだのさ

使い道も知らない鉄の塊運びながら

重いな、と彼は笑顔で言った

確かに重そうに、痩せた笑顔で

あろうことかそんときの俺

日雇い労働の最中にさえ

優しさ探してたんだろうよ

心が明るくなったよ

冷えきった安っぽい弁当

それでも腹さえ減ってれば

美味いもんさ、あのとき学んだのさ


慣れた手つきでインパクト使いながら

事情を知ってか知らずか、彼は言った

こんなもん将来使わないだろうしよ

見てても無駄だぜ

今じゃ俺はエリートコースまっしぐら

確かにあんたの言う通りだよ

何もかもそうだったよ

どこに行っても使うべきはただ一つ

たった一つ、あのとき学んだのさ


おいお前、日本語わかるか?

ケンカふっかけるように彼は言った

ただはい、と答えたそんときの俺

悔しくても何も言い返せず

今じゃそれも笑い話

怒鳴られるのには慣れたけど

いまだに部屋で

一人泣くときもあるぜ、あのとき学んだのさ


先延ばし先延ばし

タバコを吸うのを、先延ばしにする。


片付けなきゃいけない書類を、先延ばしにする。


沸かした風呂に入るのを、先延ばしにする。


タバコをやめるのを、先延ばしにする。


朝起きるのを、先延ばしにする。

スヌーズ機能に頼る。


夜寝るのを、先延ばしにする。


朝、時間がなくて急ぐのを、先延ばしにする。

結局、駅の改札をダッシュする。


ありがとうを、先延ばしにする。


ごめんねを、先延ばしにする。


先延ばしにするのは良くない、とわかっている。


そう思いながら、その癖を治すのを、先延ばしにする。


予定を決めるのを、先延ばしにする。


予定をキャンセルするのを、先延ばしにする。


先延ばしにすることすら、先延ばしにする。


そうやって、全部先延ばしにして、人生を少しずつ延ばして、生きている。









日曜日午後9時

犬がいた。ジェイという名前だった。なぜジェイと名付けたのか、聞いたことはない。小学生一年生の頃である。自分の糞を隠す習性があったのを覚えている。犬なりに羞恥心があったのかもしれない。玄関の前に置かれた小さい犬小屋に、少し悲しげな顔をして、というのは私の勝手な思い込みかもしれないが、とにかく楽しくはなさそうな様子で突っ伏していた姿を覚えている。
面倒を見きれなくなってしまって、もらってきたその犬は元の飼い主のもとに返された。生きていれば18歳くらいになる。生きていればいいな、と思う。
あるいは犬小屋に繋がれた数ヶ月のせいで寿命が縮まってしまったかもしれない。

なぜが記憶に残っている言葉たち

を、列挙してみることにする。思いついた順である。


「お前は何が不満なの?」


「それ、いまスマホで調べればいいじゃん。」


「100人に聞いたら100人があんたが間違ってるって言うだろうね。」


「君と話してると色々気づくことがあるよ。」


「助けて」


「俺、書類上は無職なんだ」


「ガキだからまたそうやっていじけるんだね。おい、ガキ!」


「ファイト!」


「また群馬に遊びにこいよ。」


「なあ、ちょっと三國無双やっていい?」


「急にどっと疲れてきた」


「恥の多い人生を送ってきました。」


「ちゃんと準備しとけよ?」


「なんでそういうこと言うの?」


「先輩がいたおかげで楽しかったですよ。」


「汚い、こないで」


「ほら、お前はまた自分の保身のことしか考えてない」


「今日もお疲れ様!」



久しぶりの更新。

長い間打ちやってあったブログに久しぶりの更新である。なぜ書く気になったのかというと、一口で表せばやはり「ストレス」ということになろう。

ストレス解消法にもいろいろある。筆者は筋トレをする。筋トレにストレス解消効果があることは経験的にわかっている。ならば筋トレをすればいいだろう、と思わないこともないのだが、問題は筋トレをする気も起きないほど、ただただだるいということだ。

そこで筆者は文字を書くのである。ポイントは、離陸点と着陸点を決めないことだ。最初から文の粗筋など考えると、文字を打ち込む気も起きなくなる。なのでただただ書くのである。と、言っているうちに書くこともだるくなってきた。

そもそも、人をむしばむこの「だるい、面倒くさい」という気持ちはなんなんだろう。

物事に取り組む前から悲観的になっていることが原因なのだろうか。とすると、例えば、もし「自分のやることなすことは万事上手くいき、最高の形で成功する」と信じることでだるさは解消できるのだろうか。筆者はそうは思わない。万事上手くいくなんて、それこそゲームに例えるなら、操作せずとも勝手に消えていくぷよぷよのようなもので、面白くともなんともない。ぷよぷよが勝手にぷよぷよしていても面白くもなんともないのである。ぷよぷよはやはり、自分の手でぷよぷよさせるからこそ、ぷよぷよしたくなるのであって、僕たちは何もぷよぷよ「されたい」わけではない。自ら主体的にぷよぷよ「したい」のである。

話が脱線した。本題にもどろう。問題は、、、あぁ、また書くのがだるくなってきた。けれどもここは最後まで自分の手でぷよぷよさせてみよう。

問題は、「目の前にあることは、自分の手でなんとかうまく解決できるはずだ」と信じることなのではないか。勝手に物事が上手くいくと信じるでもなく、上手くいかないと信じるでもなく、自分の力を信頼してみることこそ、だるさの解決に繋がるのである。

そうなると、「だるい」の元凶は無力感にあるのだろう。無力感とは何だろうか。

あぁ、これ以上考えるのはもうだるい。

上の仮説によると、自分の力を信頼することすらだるいときはどうすればいいのだろうか。

否、何もできることはない。自分の力を信頼するように仕向けてくれる何かが勝手に上手いこと起こってくれるのを待つのみである。果たしてまた僕は受動的にぷよぷよされる、退屈な生き方に落ち着いてしまったようだ。

あぁ、だるい。


鼻くそとマドンナと彼女

高校時代にとてつもない美女がいた。僕らの学年で四天王と呼ばれていた四人の美女の中でも一番の美女だった。当然かなりモテていて、サッカー部の長身イケメンと付き合っていた。一方で当時の僕は極度の対人恐怖症で、クラスメイトから挨拶などされてもまともに返せないほどだった。クラスでは「まったく喋らないやつ」で通っていた。そんな僕でも女の子と付き合うことには興味があって、例のサッカー部のイケメンが心底うらやましかった。幸い羨望を抱いていたのは僕だけではなくて、彼女と付き合えるのなら小指を切り落とされてもいい、と豪語するつわものもいた。

結局3年間僕は一人の女の子と仲良くなることもできず、卒業を迎えた。卒業式を終えてそれぞれが別の道に進み始めた四月、卒業クラスで飲み会が開催されるというメールが届いた。友達と出かけることもほとんどなかった僕は当然おしゃれな服など持ち合わせていなくて、なにを着ていくべきか途方にくれていた。結局、母親と姉が勧めてくれた、今考えれば特段おしゃれでもないけれど、大学生としてはぎりぎり許容範囲内の、安物の青いジャケットとベージュのチノパンを着て出かけた。出かける前に鏡の前に立って風貌を確認していると、姉が「いいね。話しかけやすい好青年って感じ」と自信を持たせてくれたので、まあまあ悪くないかな、と納得することができた。鏡の中の顔は相変わらず不愛想なままだった。

同窓会と言っても、まともに人と喋れない僕なので、親しい友人などもいなかった。僕は卑屈な気持ちで電車に揺られた。会場は新宿の個室居酒屋のような場所で、部屋にはカラオケが設置されていた。歌には少しだけ自信があったので、普段会話で発散しかねている思いを全てぶつけるかの如く、尾崎豊の15の夜を全力で歌った。周りは見るからに引いていた。引いているクラスメイトの中にはあの美女もいた。

会が終わった朝方、朝ごはんを食べようという誘いを断って、正確には誘われるより前にそっと抜け出して、僕は始発電車を待つホームに向かった。今日も人とちゃんと話せなかったな、と一人反省会が始まるのはいつもの事だった。ぼんやりとその夜の光景を反芻していると、すれ違いざまに声をかけてくる女性がいた。あの美女だった。一人反省会をしていた僕は、朝方の駅のホームの静けさに完全に気が緩んでいて、小指で鼻くそをほじっているところだった。僕は突っ込んでいた小指をなるべく恥ずかしげのない、ゆっくりとした動作で抜き取って、ばいばい、と声をかけてくれたその子に、おう、とぎこちなく答えた。彼女は軽く微笑んで、自信に満ちた後ろ姿ですたすたと歩いて行った。

あれから何年か経って、一人の女の子と付き合った。彼女はとても辛抱強い子で、無口でレスポンスも悪い、喋ってもつまらない言葉しか発さない、壊れたラジオみたいな僕と一緒にいることを楽しんでくれるような子だった。僕は彼女に依存しきって、誰にも話したことのなかった悩みをだらだらと打ち明けた。それまで一生かけて喋った分と同じくらい、下手なりに彼女に喋った。

彼女と色んな場所に行って、色んな事について話した。自分をさらけだすことに少しだけ慣れて、他の人と喋ることにも大きな抵抗を感じることはなくなった。人と一緒にいる息苦しさも、それを失ったときの寂しさも分かった気がした。自分から人と仲良くなろうと努力し始めた。友達が増えた。いつのまにか自信ができて、色んな事にチャレンジするようになった。

3年付き合って、僕は彼女に振られた。

振り返えれば僕は、自分が彼女から何を吸い取れるか、そればかり考えていた気がする。3年間血を吸いとらせてあげた彼女は、愛想が尽きてその鬱陶しい蚊を優しく振り払ったようだった。

この3年で僕は良い方向に変わることができた。そう思いたいけれど、気が付けば相変わらずあほ面を張り付けて、小指で鼻くそをほじっている僕がいる。あの美女が明け方のホームで声をかけてきたときも、付き合いたての彼女と青臭い約束を交わしたときも、いつだって鼻くそがこびりついていたのかと思うと、僕はいっその事この小指を切り落としてしまいたくなる。わかっている。小指を切り落としたって、誰も喜んではくれない。小指を切り落としたって、血が出るだけだ。正直に言えば、他の指もすっかり汚れていることにだって、僕はもう気付いている。手のひらまで汚れている。

手のひらを見つめながら、僕は考える。一人で考える。

汚い両手でも何かが出来るんじゃないか。そう思ったのはきっとその時が初めてだった。