久しぶりの更新。

長い間打ちやってあったブログに久しぶりの更新である。なぜ書く気になったのかというと、一口で表せばやはり「ストレス」ということになろう。

ストレス解消法にもいろいろある。筆者は筋トレをする。筋トレにストレス解消効果があることは経験的にわかっている。ならば筋トレをすればいいだろう、と思わないこともないのだが、問題は筋トレをする気も起きないほど、ただただだるいということだ。

そこで筆者は文字を書くのである。ポイントは、離陸点と着陸点を決めないことだ。最初から文の粗筋など考えると、文字を打ち込む気も起きなくなる。なのでただただ書くのである。と、言っているうちに書くこともだるくなってきた。

そもそも、人をむしばむこの「だるい、面倒くさい」という気持ちはなんなんだろう。

物事に取り組む前から悲観的になっていることが原因なのだろうか。とすると、例えば、もし「自分のやることなすことは万事上手くいき、最高の形で成功する」と信じることでだるさは解消できるのだろうか。筆者はそうは思わない。万事上手くいくなんて、それこそゲームに例えるなら、操作せずとも勝手に消えていくぷよぷよのようなもので、面白くともなんともない。ぷよぷよが勝手にぷよぷよしていても面白くもなんともないのである。ぷよぷよはやはり、自分の手でぷよぷよさせるからこそ、ぷよぷよしたくなるのであって、僕たちは何もぷよぷよ「されたい」わけではない。自ら主体的にぷよぷよ「したい」のである。

話が脱線した。本題にもどろう。問題は、、、あぁ、また書くのがだるくなってきた。けれどもここは最後まで自分の手でぷよぷよさせてみよう。

問題は、「目の前にあることは、自分の手でなんとかうまく解決できるはずだ」と信じることなのではないか。勝手に物事が上手くいくと信じるでもなく、上手くいかないと信じるでもなく、自分の力を信頼してみることこそ、だるさの解決に繋がるのである。

そうなると、「だるい」の元凶は無力感にあるのだろう。無力感とは何だろうか。

あぁ、これ以上考えるのはもうだるい。

上の仮説によると、自分の力を信頼することすらだるいときはどうすればいいのだろうか。

否、何もできることはない。自分の力を信頼するように仕向けてくれる何かが勝手に上手いこと起こってくれるのを待つのみである。果たしてまた僕は受動的にぷよぷよされる、退屈な生き方に落ち着いてしまったようだ。

あぁ、だるい。